樺太戸籍は追えます

こんにちは。弁護士の小林佑輔です。

 本日は、プロ向けの、それも北海道特有の話題です。樺太戸籍の問題です。
 相続人を調査するにあたって、改製原戸籍(かいせいはらこせき)を取得すると頭を悩ませるのが、樺太戸籍です。検索サイトで「樺太 戸籍」と検索すると、外務省や一般社団法人全国樺太連盟のウェブサイトが出てきます。ところが、結局のところ、大泊郡知床村、大泊郡富内村、大泊郡遠淵村、敷香郡内路村、敷香郡散江村、元泊郡元泊村の6つの村の戸籍だけが保管され、その他の戸籍は紛失されているようです。6村以外の自治体に転籍した者については、外務省は、6村以外の戸籍簿等の保管がない旨の回答書を発行し、道内の家庭裁判所でも、これをもって「幕」とされてきました。相続人が判明しないまま、遺産分割が多数行われてきたということになります。相続登記実務は知りませんが、おそらく同様の運用と思われます。

 ところが、私が受任した遺産分割調停事件では、弁護士法23条の2による照会(一般的に「23条照会」と呼びます。)を用い、邦人引揚者の乗船者名簿を取得する方法で上記6村以外の戸籍を追うことができました。

 戸籍がないということで済ますことに納得がいかなかったので、外務省に電話で問い合わせをしました。すると、引揚者名簿なるものがあること、厚生労働省社会・援護局がその担当部署であることを聞きました。
厚生労働省社会・援護局に電話をしてみると、樺太邦人引揚げの事情にとても詳しい方(電話口ですらヌシのような雰囲気を漂わせていました。)が親切に教えてくれました。
 ヌシ曰く、太平洋戦争の終戦と同時に、ソ連の侵攻により樺太から多数の日本人が船で引き揚げてきたこと、函館、釧路、稚内に多く引き揚げてきたこと、乗船者名簿を厚労省で保管していること、乗船者名簿には行き先が記載されていることが分かりました。正式な照会があれば正式に回答できるというので、23条照会を使いました。実際に作成した申出書(〇〇部分はマスキング処理)の内容は、以下のとおりです。


【引用開始】
1 受任事件
  依頼者名: 〇〇 〇〇
  相手方名: 〇〇 〇〇
  事件名: 遺産分割調停申立事件
  管轄: 函館家庭裁判所
2 照会先
  住所:〒011-8916
     東京都千代田区霞が関1-2-2
  照会先名称:厚生労働省 社会・援護局 援護企画課
        中国残留邦人等支援室長
  電話番号:03-5253-1111(代表)
3 照会を求める理由
 依頼者は、被相続人亡〇〇の相続人(配偶者)として、〇〇氏らを相手方として函館家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てる予定です。ところが、被相続人のきょうだいに当たる〇〇氏(旧姓:〇〇)が〇〇氏と婚姻した際に、樺太〇〇郡〇〇町(外務省保管対象外)に入籍していることから、当職において、樺太以降の戸籍が取得できていません。そうしたところ、樺太からの邦人引揚者名簿が存在し、函館か稚内に引き揚げた可能性があるとの情報に接しましたので、〇〇氏の引き揚げ後の本籍地を把握するため、本照会を求めることになりました。
4 照会事項
1 以下の者は、樺太からの邦人引揚者名簿等の資料に記載されていますか。
  氏  名  〇〇 〇〇(カタ カナ)(旧姓:〇〇)
  生年月日  大正8年12月3日
  本  籍  樺太〇〇郡〇〇町大字〇〇※町○七番地
       (※部分は判読不明、序米廣と読める、別紙戸籍ラインマーカー部分参照)
  住  所  不明
  配 偶 者  〇〇 〇〇(戸主か否かは不明)
2 記載されている場合、上記の者について、引き揚げ後の本籍地及び住所をご教示ください。
【引用終了】


 その後、厚労省は、直ちに、上陸地の引揚援護局に提出された乗船者名簿の写しを開示しました。乗船者名簿には、行先として、「北海道〇〇郡〇〇村字〇〇」まで記載されていました。記載のあった村の現在の自治体に戸籍を請求すると、

ビンゴ!

でした。その後の処理は、通常の戸籍取得と同様です。

 この樺太戸籍の追い方は、23条照会を使わなければならないため、弁護士以外には調査はできません。「樺太戸籍は追えない」のであれば、調査は不要で、実務上それで済んでいたフシがあります。それでも樺太戸籍は専門家を悩ませてきました。
 法的には、遺産分割は、相続人のうち1名でも欠けていれば無効となります。樺太戸籍を追えなかった遺産分割は、相当数が無効となるでしょう。

 樺太戸籍は、実は追える、という事実は、函館家裁への遺産分割調停申立て(非公開)以外では、今回が初めての公開です。パンドラの箱を開けてしまった心境です。
船の写真

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弁護士法人ゆめかなえ法律事務所

北海道函館市湯川町にある法律事務所です。
弁護士小林佑輔と弁護士浦巽香苗が日々感じたことを書いています。